当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!
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オデ、イエティ。
今回は『エルデンリングDLC』の考察をしていきます。
お題は『熊餐』について。
熊と狩人
影の地を悠々と闊歩する大赤熊。その頭部には混じり角が生じており、並外れて強健である様を表している。
そして偉大なる野生を、死闘を求め。戦士たちは今日も集ってくるのである。俺たちは、熊になりたい。
影の地には大赤熊とそれを狩る熊の狩人が存在する。まずは高地の戦士について。高地の戦士については別個に記事を出しているため、詳細はぜひ。
高地の戦士は熊の狩人であり、特に秀でた誉れに対して赤い柄布を与えられる。この赤は、大赤熊の赤からきているのだろう。強大な獣に挑むのは、彼らの誉れなのだ。とあり、誉れの装束を入手できる場所も大赤熊たちのねぐらの近くである。
勘違いしそうになるが高地の戦士はあくまで狩人。後述する男たちとは違い、獣そのものになりたいとは思っていないはずだ。
次に北の無名霊廟のボスである「赤熊」について。
影の地の無名霊廟には
その名を、あるいは心を失くした
戦士たちの霊が宿るという
赤熊は名を忘れた狂戦士だ。大赤熊の毛皮を頭から被り、血に汚れた鉄鋲シリーズを身にまとっている。
彼の防具に刻まれた独特のフレーバーテキストは、褪せ人の心を掴んで離さない。
血みどろの死闘の末に大赤熊を仕留め
戦士は魅入られた。裸の力、その純粋さに
俺は、ただの熊になりたい。
赤熊は熊になりたくなってしまった、元戦士。大赤熊との激戦を制しその毛皮を被り、赤熊になってしまったが故に名を忘れた男なのである。
実は、彼が以前どういう戦士だったのかは彼から入手できる「牙の兜」を見ればわかる。赤熊が被っている頭防具はアイテムとしてはラルバの毛皮と同じ。しかし、彼を撃破した際に彼の装備していない頭防具として入手できるのが牙の兜だ。
名を忘れた狂戦士、赤熊の兜
その面頬は、獅子の牙を象っている
かつての赤獅子は、だからこそ
野生の力に魅入られたのだろうか
なんとかつての「赤獅子」とあり、彼が英雄ラダーンの配下であったことが記されている。実は牙の兜はラダーン兵の兜の一部。見比べると兜の中に仕込まれた牙の面頬の部分であるとわかる。
牙の兜のテキストはやや婉曲な表現を用いているが、彼が野生に魅入られた理由がちゃんと記されている。
かつての赤獅子は、だからこそ野生の力に魅入られたのだろうか。
この「だからこそ」は、牙の兜のテキスト前半を指している。「その面頬は、獅子の牙を象っている」の部分だ。
そもそもラダーン兵の面頬は、その将であるラダーンの兜を倣って牙の装飾をしている。つまり直截的には表現されていないが、赤熊は赤獅子であること、将軍であるラダーンに対して、強い誇りを抱いていた。そしてその力に魅せられ、獅子の強さの源を野生だと受け取っていた。
故に力を求め、赤熊へと行きついたのである。結果、名を忘れたのでは意味がない……と一蹴するのは野暮だろう。
彼は確かに熊になれたのだから。
熊餐信仰
さて、次は信仰としての「熊餐」について。
俗に熊餐と呼ばれる祈祷
大赤熊ルガリアの力を振るう技
俗に……と言いつつ、熊餐祈祷は一つしかないのだが。誰が呼んでるんだよというのは置いといて。くまさん、と呼びたくなるが恐らくはゆうさん。竜餐と合わせて韻を踏んでいるのだろう。その祈祷は竜餐よりも、角人の神降ろしに近しい技とされている。
角降ろしは仮面を被ることでいわゆるトランス状態に入り、その状態の自分に神を降ろすという技術だ。熊餐においては大赤熊の毛皮を被り、熊になりきる。竜の心臓を対価に竜の祈祷を与えられる竜餐とは違い、自らの在り様が熊餐祈祷を形作るのだろう。
墓地平原の森を練り歩く敵対NPC、獣の爪ロガ。彼もまた獣を目指す男だが、その爪もやはり角人の神降ろしに近い。
角の戦士たちの秘術を模倣した
自らに、獣を降ろすがごとき武器
しかし「模倣」「降ろすがごとき」という表現からは、まだまだ獣にはなりきれてないのだろう。獣の爪と熊餐では、祈祷にまで昇華された熊餐の方に獣度の軍配が上がりそうだ。
実は狭間の地においても似たような、ある種の変身願望を見ることができる。それは、一部の何ということもないエネミーが、倒すことで唐突に他の種に変身するというもの。リムグレイブ、聖別雪原の亡者は狭間の大熊、ルーンベアに変身する。他の変身先も獅子やトロルと、巨大で力のある
生物に変身する場合が多い。
この変身エネミーは幼生の雫をドロップするため、幼生の雫の力で変身しているのだろう。
聖別雪原で変身する亡者は雪に埋もれ、足掻いている。彼がルーンベアに変身したのは、雪から這いだすための力を渇望してのことだろうか。
どんな場所の、どんな境遇の人間でも。偉大な野生に憧れ、そうなりたいと望むのだ。将であるラダーンに憧れ、赤獅子として力を求めた赤熊が、偉大なる野生を目指したのは必然だったと言う他ない。
純粋な力、そこに神が宿る。なれば目指すしかないだろう。高らかに叫ばせてほしい。
俺は、俺たちは、熊になりたい。
……しかし最後に一つ、どうしても言っておきたいことがある。
獣なら! 聖杯瓶を飲むな!!!!
以上! おつかれさまでした。