【エルデンリングDLC】SEKIROの舞台? 葦の地について【考察】

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当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!

↑ゲーム考察チャンネルを始めました。記事をもとにエルデンリングの考察をやっています。

↑当記事の動画版なのだ。

オデ、イエティ。
今回は『エルデンリングDLC』の考察をしていきます。

お題は『葦の地』について。

目次

葦の地とは

今回の動画では幾つかのアイテム・NPCと関連して僅かに語られる、狭間の外の国。「葦の地」について掘り下げていく。

当動画の前提として、エルデンリングで語られる葦の地は、フロム・ソフトウェアの過去作である「SEKIRO」の舞台。もしくはその舞台と似た世界観を持つ土地であると仮定して考察していく。SEKIROのストーリーに深く言及はしないものの、ネタバレになる可能性があるのでSEKIROを未プレイの方は注意してほしい。

画像引用元:PhotoAC 様 写真素材:葦

まず「葦の地」という名称について。葦、というのは「人間は考える葦である」で有名なイネ科の植物だ。この葦が地名として使われている由来は、神話に基づく日本国土の呼称である「葦原国」からだと考えられる。


SEKIROの舞台となるのは日本の一地方である「葦名の国」。この葦名の国自体が、「葦原国」を由来とする名前なのだろう。

エルデンのゲーム開始時に決定する素性・外見などの設定には葦の地について語る記述がある。


それによると葦の地は隔絶された異国の土地であり、その地はとても血生臭いという。さらに詳細な情報は「葦の地シリーズ」の防具にて知ることができる。

文化的な断絶が長く続いたその地では、
悲惨な内戦が、ずっと続いているという。


この文化的な断絶というのは現実の日本でも行われた鎖国のことだ。SEKIROの舞台である葦名は架空の国・勢力だが、時代としては戦国時代後期から末期にかけての日本をモデルとしている。間違いなく、文化的な断絶である鎖国の影響にあったのだろう。

そして悲惨な内戦というのはSEKIROの本編でも起きていた、葦名と内府の戦のことだ。葦名の国はSEKIROの登場人物である葦名一心が若き日に国盗りの戦で勝ち取り、興した国だ。

しかし本編においてはすでに一心の老いと共に葦名の国は衰退し、内府と呼ばれる勢力によって侵攻されている。これを指して「悲惨な内戦がずっと続いている」と表現していると考えられる。

SEKIRO本編の状況と葦の地の描写は合致しており、葦の地=葦名の国だと仮定するには充分な材料がある。もちろんエルデンリングのストーリー本筋に関わることのない、あくまでフロムのファン要素なのは確かだが、狭間の霧の向こうのどこかに葦名の国があると考えるのは、SEKIROファンとしては夢のある話だ。

葦の地の出身者

次に葦の地と関係したキャラクターについて。実はちょっとしたファン要素とは言いつつも、葦の地に関連したキャラクターは多い。

血の狩人ユラ、純紫の血指エレオノーラ、翁、翁の高弟、イナバ衆。それぞれと葦名の関係について考えてみよう。

血の狩人ユラは和洋が折衷した鎧を着ている。その鉄笠は葦の地の編み笠に似せて作られたもの。また、ユラの持つ武器、長牙も葦の地のものと思われる意匠がある。ベースが西洋鎧であることを鑑みればあくまで葦の地の防具に似せているだけであり、彼の故郷が葦の地というわけではないのだろう。

彼が葦の地にいた理由はおそらく、彼が追っているエレオノーラにある。

純紫の血指と呼ばれるエレオノーラ。彼女の得物である双薙刀は葦の地で鍛えられたものだという。エレオノーラはその名前や装束からすると、葦の地出身とは思えない。


ユラとエレオノーラはどこかから流れ着いて葦の地へ、その後狭間へとやってきたのだろう。もちろん二人の故郷が狭間の地であり、葦の地を経て戻ってきたのだと考えることもできる。

一陣の旋風のごとき卓越した剣技は
今は呪われた血に汚されている

というテキストから察するに、エレオノーラが葦の地にいた時期は血の指ではなかったのだろう。このエレオノーラの双薙刀だが、その意匠はSEKIROのある刀を想起させるものとなっている。

SEKIROのストーリーにおいて重要な役割を果たす不死斬り(開門)というこの刀には、蓮の花を象った特徴的な鍔が見られる。エレオノーラの双薙刀はこの不死斬り(開門)を、二つ繋げたような形となっている。


……もちろん、そこからエレオノーラと葦の地の関係を掘り下げられるようなことはないが、SEKIROプレイヤーからするとオッとなる嬉しい要素だ。

次に血の指であり、ラダーンフェスティバルでも共闘した翁。彼と、後述するイナバ衆は葦の地の出身者だろう。

歯を剥く老人を象った木の仮面。
葦の地の大剣客、その通り名の由来。


心を研ぎ澄ますほどに、下らぬものが見えてくる。
それらすべてを捨て去った先に、翁は生きた。
一振りの刀と一人の己。ただそれだけを極めん。


そして翁は、修羅となった。

修羅」という言葉はSEKIROで非常に重要なワードだ。SEKIROにおいての修羅は、あらゆる相手を斬るうちに
使命も情もなくし、ただ斬ることだけが目的の鬼と化した者のことを指す。


翁はただ斬ること以外の全てを捨てたという。翁は右手に刀、左手に脇差という二刀流で、そのスタイルは脇差にも記されている。そして、翁の一番の得物は言わずと知れた屍山血河。この屍山血河の見た目もSEKIROに登場する刀、
不死斬りと似ており、オマージュ元と言われている。

屍山血河のテキストでは、翁が血の指となった経緯が語られている。

翁の剣を、狂気をその身で知ったとき
血の君主モーグは、提案したという。
与えようぞ。渇くことのない修羅の生き様を。

要するにモーグは翁に一度は斬られている。二人はどこかで交戦したのだろう。このテキストだとモーグが斬られた描写しかないため、モーグが一方的に斬られているという印象に取られやすいが、重要なのはモーグが一太刀で翁の渇望を悟り、自らに剣を向けた翁を血の指に迎え入れたことだろう。これはモーグの懐の広さを表すテキストになっている。

翁は修羅となり、自らとその剣以外を捨て去った。その事で遺恨を残している。霊喚びの洞窟の霊カタツムリに召喚される、翁の高弟、イナバ衆はかつての翁の弟子たちだ。

大剣客「翁」の高弟たるイナバ衆。
イナバ衆は、彼らを捨てた師を追い続けた。
尋常に斬り結び、屍山血河に死すために。

イナバ衆は白備えを着ており、その意味は死に装束だという。屍山血河とは、激しい戦闘のたとえ。また、そのあとの惨状のこと。つまりイナバ衆は翁と斬り合って死ぬことが望みで、翁を追って狭間の地までやってきたのだろう。


翁とイナバ衆はともに巨人たちの山嶺に出現するため、イナバ衆たちは目的を遂げることができたのかもしれない。

白備えは死に装束と言われているが、白備えという言葉の由来は北条五色備という戦国大名・後北条氏の元に編成されたとされる部隊だろう。その名の通り黄・赤・青・白・黒の5色に分けて5つの部隊があったとされるが、そのうちの赤備えに関してはSEKIROでも登場する。


赤備え、白備え……フロム・ソフトウェアのゲームだけでいつか北条五色備が揃う時が来るのかもしれない。

こうして出そろった葦の地関係者を見ると、「」に関するキャラクターばかりなのがわかる。エレオノーラと翁の二人は血の指。ユラは血の指の狩人。イナバ衆は出血エンチャントをする。


葦の地はとても血生臭い。内戦が続いたが故に皆、血生臭い狂気を孕むのだと。ここまで血と関連するキャラばかりとなると、狭間の地からして血生臭いと言われるのも、致し方ないのかもしれない。


そんな葦の地だが葦の地の銅鎧では身に着けた者から偲ばれてもいるようだ。

薄汚れた、枯れた植物の外套は故郷の葦で編まれている。
あるいは、偲ぶ思いも残っていようか。


どれだけ血生臭いと言われても、彼らにとっては故郷に違いないのである。というわけで考察はここまで。


SEKIROの話していい? 手短に。SEKIROは非常に難易度の高い死にゲーと言われるけど、個人的にはかなり親切に上達のプロセスを踏ませてくれる、よく出来たゲームという印象が強いんですよね。

弾きなら弾き、回避なら回避。一つ一つのアクションの重要性をボスごとに特徴付けることで教え、腐らず遊んでいれば階段を一段ずつ登っていくような感覚で上達していけるようになっている。臆せず攻め、見切って防ぐ。シンプルなセオリーを理解してからはどんどん上達し、戦闘がスピーディになっていく。そこが魅力なのだ。

でもSEKIROが親切なゲームだ、って人に話すと頭のおかしいゲームユーザーの戯言みたいに思われてしまう。ちょっと残念ですね。

SEKIROは今でもオデの中で輝き続ける、生涯で最も面白かったアクションゲームなんです。なのでエルデンリング側からではあるけれども、こういう形で考察しました。では、おつかれさまでした。

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