当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!
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オデ、イエティ。
今回は『エルデンリングDLC』の考察をしていきます。
お題は『褪せ人』について。
褪せ人とは
今回のお題は「褪せ人とは何者なのか?」ということについて。
DLCがリリースされた今、改めて褪せ人について掘り下げていく。常日頃ターニッシュ、ターニッシュと呼ばれてるけど、そもそも褪せ人ってなんなの? 結局クリアしたけど褪せ人が何か知らない、そんなこともザラだと思うので、
今回はなるべく一つずつ丁寧に考察していく。
かつて狭間の地に生きる人々は黄金樹に祝福され、その瞳に黄金の光を宿していた。しかしやがてその光を失う者たちが現れた。彼らは褪せ人と呼ばれ、祝福無き者。光無き者として狭間の地を追放されてしまう。
その後、狭間の地でエルデンリングが砕けた。エルデンリングの砕けを皮切りに、狭間の地を追われた者、そしてその子孫たちにかつて失った祝福の導きが訪れる。
狭間の地へと戻り、エルデンリングに見え、王となれ。
そうした教示が下され、褪せ人たちは狭間へと舞い戻ることになる。
OPムービーを見れば分かる通り褪せ人たちの一部は死んでいるが、祝福がもたらされたことにより死に切れてはいない。黄金律による祝福は不死を与える力があるため、祝福が戻った褪せ人は死ぬことができないのである。かくして褪せ人たちは狭間へと戻り、王を目指すことになる。
では、エルデの王になるというのはどういうことなのか。狭間の地を庇護するという大いなる意志。そしてその
言葉を伝える二本指は褪せ人に伝える。
曰く、大いなる意志は褪せ人に祝福の導きをもたらし、使命を与えた。デミゴッドが持つエルデンリングの大欠片、
大ルーン。それを集め、エルデの王となって黄金律を修復せよ。
大ルーンを持っているのは女神マリカの子、デミゴッドたち。しかし大ルーンを持つデミゴッドたちは大ルーンの力に狂い、争った末に、誰もエルデの王となれなかった。故に大いなる意志はデミゴッドたちを見限った。褪せ人にデミゴッドを狩らせ、大ルーンを奪う。それがエルデの王への道だという。
褪せ人はエルデの王となるべく使命を与えられた、黄金樹勢力の敵なのだ。
では褪せ人という存在はどうやって生まれたのか。これには女神マリカの存在が深く関わっている。
褪せ人の起源
メリナが伝えてくれる各マリカ教会の言霊によれば。
我が王よ、王の戦士たちよ。
お前たちから、祝福を奪う
そして、その瞳が色褪せるとき、狭間の地を追放する
外に戦を求め、生き、そして死ぬがよい
そして、お前たちが死した後、
いつか奪ったものを返そう
狭間の地に戻り、戦い、
赴くままにエルデンリングを掲げるがよい
死と共に、強くあれ。
王の戦士たちよ、我が王、ゴッドフレイよ
これがマリカが夫であるゴッドフレイと、その配下に向けた言葉である。つまり褪せ人というのは、女神マリカによって祝福を奪われた人々のことだ。ではなぜ、マリカは夫であるゴッドフレイとその配下を褪せ人にしたのか。
マリカの計画
ここで重要になってくるのは瞳へ与えられる祝福。ルーンだ。ルーンは狭間の地の人々にとって重要であり、プレイヤーである褪せ人が強くなるために必須のエネルギーのようなものだ。
まず初期選択アイテムの「狭間の地のルーン」によると、
褪せ人とは、祝福を瞳に宿さぬ
あるいは、宿したそれを失った人々である。
この対極と言えるのが位の高い黄金のルーン。
黄金樹の祝福は、その始まりに仕えた者たちに
より色濃くもたらされた。
つまり、黄金樹との関係が深い者ほど色濃い祝福がその瞳に与えられた、ということだ。これを踏まえて褪せ人と狭間の地の民の違いを見ていく。
まず、本編開始時点での狭間の地は、エルデンリングが砕けた影響によって異変が起きている。祝福を受けた人々は亡者のようになって彷徨い、彼らはおかしくなっていると語られる。これは全てエルデンリングが砕けたからである。
黄金樹による祝福はエルデンリング(黄金律)によって授けられているものだ。故にエルデンリングが砕けたとき、
祝福を濃く受けていた者は狂ってしまう。またエルデンリングが砕けることは、黄金樹の民だけでなくデミゴッドさえも狂わせてしまう。
しかし褪せ人は瞳に祝福がない存在であり、エルデンリングが砕けた際の影響を受けない。狭間の地の異変の影響を受けない存在だ。つまりマリカはゴッドフレイを追放した時点で、後にエルデンリングを砕くことを計画していた。
エルデンリングを砕けば、デミゴッドたちはそれを奪い合う。その戦争が終わった後に誰も王とならなければ、二本指は褪せ人へと祝福を還すだろう、と。それがマリカの計画である。
デミゴッドたちの末路についてもマリカは示唆している。「デミゴッド、我が愛し子たちよ。お前たちはもう、何者にもなれる。王であれ、神であれ。そして、何者にもなれぬ時、お前たちは見棄てられる。そして…贄となるのだ。」
つまり、デミゴッドがエルデの王を目指すならばマリカはそれでも良かったのだろう。しかし争いあっても誰も王になれなかったとき、その時は二本指によってデミゴッドは敵とされ、命を狙われる。結果としてデミゴッドはエルデの王にならず、二本指によって褪せ人へと祝福が還された。
ちなみにこうして褪せ人に祝福が戻ることは金仮面卿も予見していたという。
言霊でのマリカは「いつか奪ったもの(祝福)を返そう」と言っている。だが、二本指の言葉によれば褪せ人へ祝福を還したのは二本指だ。マリカが還したわけではない。何故ならマリカはエルデンリングが砕けた罰として、黄金樹の中で磔にされているからだ。
しかし、マリカは確かに褪せ人へと祝福が戻ることを予言している。つまりマリカはエルデンリングを砕いた後、
破砕戦争が起きること。二本指にデミゴッドが見棄てられ、その後は二本指の尖兵として褪せ人に白羽の矢が立つことを、見越していたのだ。だから、自らがエルデンリングを砕く前から手を打っておいた。
自らが一番信頼をおく夫ゴッドフレイと、それに連なる戦士たち、やがて生まれる子孫たち。彼らにエルデの王となることを託したのである。
さて、ここまでは本編で明かされていた内容。ここからはせっかくなのでDLC後のアイテムを見ながら、
関連したものを拾い上げてみたい。
欺きの光
DLCのアイテムを見ると、こうした祝福が「瞳」に宿るということを強調するアイテムが散見される。例えば「祝福の瞳膜」と「暗闇の瞳膜」など。
これらはクウィラインなど一部NPCのイベントで使用できるアイテムだが、テキストには興味深いことが書いてある。
この二種類の瞳膜は黄金樹の司祭たちが用いた道具だ。使い方はおそらくコンタクトレンズのような感じで目に装着する。すると、祝福の瞳膜なら、祝福の光が強く見える。逆に暗闇の瞳膜なら、祝福が褪せて見える。要は影の地において陰りを見せていた黄金樹信仰を盛り立てるため、この二つのアイテムを使い分けて信徒を欺いたのだろう。
つまり黄金樹を信じれば祝福が見え。逆に黄金樹を信じないと、祝福を奪われる。
そんな風にアメと鞭として用いられたのだろう。また、レダのイベントで入手できる「レダのルーン」によると彼女は褪せ人である。そんな瞳に祝福のないレダのために、ミケラは柔らかい黄金のルーンを贈った。
しかし「まだ誰の瞳にも宿ったことのない無垢な光」とあるので、レダはこの祝福を目に付けなかったのだろう。
一見するとミケラが褪せ人のレダのために与えた、救いの光のように見えるレダのルーン。しかし似たような祝福を
マリカが英雄に贈っており、そのテキストによれば「その輝きは、英雄をすら盲目にする」という。
つまり、少なくともマリカは強い祝福を与えることを、英雄を意のままに操る手段として用いていたということになる。ミケラがレダにルーンを贈った真意もマリカとほど近いところにあるのかもしれない。
祝福は瞳に宿るもの。その前提があれば、色々なアイテムが何を模しているのかにも繋がってくる。
英雄のルーンなどは角膜。
瞳膜はコンタクトレンズ。
メスメルが蛇を封じるために受けた祝福は、
まるで義眼である。
また律の狂いの影響を受けない商人たちは、かつて狂い火を瞳に宿した者たちだ。すでに瞳に別の光が宿っていることが彼らが正気を保っている理由なのだろう。
DLCを経て、目に宿る光の重要性について掘り下げられているのは間違いない。それを踏まえて褪せ人について考える。
褪せ人はかつて瞳から祝福を奪われ、追放された者たちだ。黄金樹の信徒は祝福が目に宿らない褪せ人を、祝福無き者と罵る。しかし古来より瞳に与えられる光はその目をくらませるものであり、他ならぬ女王マリカが用いてきた欺きの手法だった。
目に光を授けることが欺きで、目から光を奪うことが真意。
祝福を奪うことでマリカは自らの王ゴッドフレイとその配下、そして子孫たちにエルデの王と成ることを願った。光に目が眩むことのない本物の王に。
褪せ人という存在は、その証左なのである。
というわけで今回はここまで。おつかれさまでした。