【エルデンリングDLC】泥濘の騎士とは何者なのか?【考察】

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当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!

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オデ、イエティ! 今回は『エルデンリングDLC』の考察をしていきます!

お題は『泥濘の騎士』について!

目次

泥濘とは

泥濘とは雨や雪解け水で、
地面がどろどろになっている状態のこと。
読み方は「でいねい」「ぬかるみ」「ぬかり」など色々ある。


当記事では「でいねい」と読んでいく。便宜上のものであって強いこだわりはないので、読み方は何でもよいと思う。
さて、泥濘の騎士は大穴深部のさらに地下深くへと落下していった先で出会うことになるボス。

泥濘の騎士は下半身が溶けた白い馬を駆る、巨大な骸骨騎士のような見た目をしている。
骨の中には黒い泥のような泥濘が詰まっており頭部も同じように泥濘の球で形作られたもの。
そして、巨大な人骨を泥濘で固めた大鉈を得物としている。


撃破時に入手できる追憶によると、この奇妙な騎士は大穴の先に棄てられた聖女トリーナを守護しているという。

泥濘は、穢れた死肉のなれの果てであり
トリーナの蜜により、永遠の安眠を得た
故に、泥濘は彼女の騎士となった


追憶ボスでありながら特に台詞もなく、特に誰からも言及されないこの騎士は一体どういう存在なのか。


まず本編には登場しなかった「泥濘」という存在について掘り下げていく。
凝固した泥濘」によると、泥濘とは石棺に納められた汚れた命のなれの果てであるという。

石棺というのは大穴の近く、青海岸に流れ着いている石棺のことだろう。鎮めの柱によれば狭間の地、そして影の地は各地から死が集まる場所だという。汚れた命である泥濘が入った石棺が青海岸へと流れ着いて、そのままになっている。これらの泥濘は何も不法投棄されているわけではなく、理由があって狭間に送られたのではないだろうか。

霊炎による死

泥濘の渦」のテキストには興味深いことが書かれている。

古い時代、死は霊炎に焼かれた。穢れた死肉、そのなれの果てであろうとも。

古来より影の地には霊炎による火葬が存在した。その証拠として墓守鳥という死の鳥の眷属として
造られた、霊炎を吐くゴーレムの姿を各地で見ることができる。
本来、泥濘は石棺で流れ着いた後、こうした霊炎を司る者によって、
焼かれる定めにあったんじゃないだろうか。


しかし何らかの理由で泥濘は霊炎で焼かれることなく、
放置されている。なぜだろうか。

例えば、霊炎による死を信仰していた原住民である角人が、メスメル軍によって虐殺されたことで、
霊炎を司る墓守鳥のゴーレムが造られなくなった。結果、浄化のサイクルが追い付かなくなり、
泥濘が溢れかえる結果になった。など。

これらの謎には答えが無いのであくまで想像に過ぎないが、もしも古い時代の影の地では泥濘を霊炎で処理できていたのなら、その後の影の地に起きた何かしらの変化が霊炎に影響しているのは間違いないだろう。
さて、泥濘はトリーナの蜜によって救われてトリーナを守る騎士となった。ではなぜ蜜を吸うことが永遠の安眠に、
そして救いに繋がるのか。

トリーナの蜜


トリーナのイベントで判明することだが、褪せ人が蜜を吸うと死亡する。これはティエリエの台詞などから見ても、
永遠の眠りについてしまうからだろう。トリーナの蜜には優しい眠りの力があり、それがトリーナの信者たちが求めている微睡みの所以だ。

ここからは完全に説明のないことだが、穢れた死肉である泥濘は「死に生きる者」に近い存在なのではないかと考えられる。泥濘は穢れた死肉だ。死肉と言うが、動いている。そして思考のようなものができるため、魂は存在する。トリーナの蜜はその魂を永遠に眠らせる。


霊炎は肉体が死んだ存在の魂を燃やしてくれる炎で、トリーナの蜜はその代わりになってくれた。
こうして死を霊炎によって焼かれることのなかった泥濘は、トリーナの蜜を吸うことで永遠の安らぎを得た。
要は一つの生命としての「禊ぎ」を済ませられたのではないだろうか。

……しかし、泥濘の騎士は明らかに永眠したようには見えない。すこぶる元気に大穴の底を駆け回っている。
では、トリーナの騎士となる上で泥濘がどう変わったのかについて考えてみよう。

泥濘が得たもの


まず、そもそも泥濘は穢れた死肉の塊であり、戦う際に必要な肉体はなかった。
泥濘の大鉈によると、これは人骨を連ね泥濘を固めて刃とした武器だという。
つまり泥濘の騎士は必要があってこの得物を作った。これは彼らの体に関しても同じことが言える。


泥濘の騎士と大穴のスケルトンは、人骨の中に泥濘が詰まった見た目をしている。これは元からこういう姿だったわけではなく、恐らくはトリーナによって救いがもたらされたことで、こうした形を取るようになったのだろう。
ドロドロの泥濘と、目的あって襲ってくるスケルトンの違いは明白だ。

スケルトンと泥濘の騎士は、自らに救いを与えてくれたトリーナを守ろうという思いで、物理的にも心理的にも立ちあがったのだろう。泥濘は大穴周辺で見られる敵だが、スケルトンとなった泥濘は大穴深部、トリーナの近くにしか出現しない。

また、泥濘に救いがもたらされた証拠として、騎士が放つ霊炎の存在がある。

泥濘は霊炎によって焼かれなかった存在だ。だが、泥濘の騎士はトリーナによって救われたことで自ら霊炎を宿すようになった。泥濘の騎士が放つ霊炎こそが、彼が救われたという証拠となっている。


安息を手に入れてなお泥濘の騎士が実体を持ち、騎士として戦っているのは全てトリーナのためだ。
大穴周辺に泥濘たちが集まっているのは、底にいるトリーナに救われたがっているから。
そして救われたものが大穴の深部、トリーナに続く道を守るために兵士として構えている。


ミケラによって棄てられたトリーナが、魅了の力などなくともこうして信仰を集めているのは、ある種の皮肉だろうか。

泥濘の騎士は穢れた死肉のなれの果てであり、やがて永遠の安眠と霊炎を手に入れた。そうして待ちわびていた霊炎、
その力を用いてトリーナを守る、一人の騎士となったのだ。

余談だけど、泥濘の騎士のお気に入りポイントを紹介する。泥濘の騎士のお尻からは実は管のように尖った泥濘が突き出ている。これはモーションを見る限り、泥濘の馬に突き刺して体を固定するための突起のようだ。

泥濘の騎士が馬との連携攻撃をした後、かなり大きく体を浮かせて馬に騎乗する独特のモーション。あれは馬にザックリと泥濘を突きさして固定するための動きなのだろう。泥濘ならではの柔軟な造りには感心させられる……。


というわけで今回はここまで。おつかれさまでした。

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