【エルデンリングDLC】狭間の壺、影の地の壺。二つの文化の違いについて【考察】

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当記事では『エルデンリングDLC』のネタバレがあります! ご注意ください!

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オデ、イエティ。
今回は『エルデンリングDLC』の考察をしていきます。

お題は『狭間の壺と影の地の壺、二つの壺文化の違い』について。

目次

生き壺とは

狭間の地の各地で出会う壺人。善良なる彼らは人気キャラとして不動の地位を確立している。

一方でDLCの舞台である影の地には、ボニ村の大壺という因習が存在し、その壺の中には罪人と巫子が混ぜられた、
グロテスクなエネミーが入っている。この土地に残る邪悪な因習は、影の地で起きた過去の聖戦の発端という考察もでき、影の地の生き壺は多くの褪せ人の恐怖とヘイトを集めている。

画像引用元:スタジオソータ 公式様


そして影の地の生き壺の存在により、狭間の地の生き壺への見方もやや変わりつつあるという。このままではエルデンリング初のカプセルトイ&ボックストイ、「小壺」(2024年11月下旬発売)の売り上げに関わる……!!!

というのは冗談だが、それぞれの生き壺の文化がどういったものなのか。二つの文化には繋がりがあるのか? ということについて掘り下げていく。

狭間の壺


まずは狭間の地の生き壺について。狭間の地には壺村という隠れ村があり、
そこでは壺人たちが穏やかに暮らしている。

壺人には種類がある。油の詰まった油壺(NPC・エネミーとしては本編に登場せず、アレキサンダーがその存在について触れているだけ)。火薬が詰まった火炎壺。そして戦士の死肉を集め、自らの中身としながら旅をする戦士の壺。
NPCの小壺と、アレキサンダーは戦士の壺である。


また小壺は「みんなには内緒だけど僕も実は、戦士の壺なんだ。」と言っているので、それぞれが何の壺人なのかは
その外見からではわからないようだ。


戦士の壺の中身は死肉であり、取り込むのが強力な戦士であればあるほど、戦士の壺の強化に貢献する。また、ひび割れるほどの傷も癒えるらしい。

戦士の壺の目的は旅をして強くなること。しかしアレキサンダーは褪せ人との戦いで砕け散る際、「壺はいつか壊れるもの」だと語っている。

では、彼らは何の目的で死体を集めているのか。この答えと思われる描写が各地の小黄金樹の周りにある。

狭間の地には至るところに生えている小黄金樹。これはエルデンリングが砕けた際に黄金樹から各地へと散った、
黄金樹の種子が芽吹いて育ったものだ。これら小黄金樹の周りには割れた壺が転がっていることが多い。


素直に考えれば戦士の死体を運んできて、小黄金樹の肥料とするのが戦士の壺の役割だろう。戦士の壺が強く在るのも、小黄金樹まで運ぶ間に割れたら意味がないからと考えれば理にかなっている。また壺を狙う密猟者も存在するため、自衛のために戦闘を行う必要があるのだろう。

壺人たちの蓋は黄金樹のマークが刻印されている。誰が壺人たちを造ったのかは明かされていないが、黄金樹に関係した者が造ったのは間違いない。また、小黄金樹はエルデンリング破砕後に種子から育った樹だと思われるため、エルデンリング破砕前後を壺人が生まれた時期と考えることもできるだろう。

ボニの壺

次にボニ村の生き壺について考える。角人の住むボニ村にはある因習がある。それは罪人と巫子の肉を大壺に詰め込み、牢獄へと納めること。罪人が生まれ変わり、転生して善き人になることを祈る風習だ。

しかし内容は陰惨なもので、無辜の民である巫子を攫ってきて傷つけ、罪人と共に詰める。この所業を行いながら、角人は純粋に罪人が善人になって生まれ変わることを願っている。

影の地の牢獄などで出会う、生き壺やその中身はこの因習の被害者である。

ボニ村の大壺の蓋には、黒くウネったマークが刻まれている。角人の信仰する混じり角か、あるいは大壺師の面のモチーフである毛虫なのか。詳細は不明だが、狭間の地の壺人の蓋とは違うマークだということを覚えておきたい。


さて、ここで各地の生き壺についてまとめて比較してみよう。

狭間の壺人(戦士の壺)
目的:小黄金樹へ栄養を運ぶため
制作者:不明(黄金樹勢力)
中身:戦士の死体。都度補充する
作り方:不明
状態:意思疎通が可能な個体がいる

ボニ村の生き壺
目的:罪人を善人に輪廻させるため
制作者:ボニ村の大壺師
中身:罪人の肉片、傷つけられた巫子、
その他の汚物
作り方:大壺師によって作成
状態:意思疎通が不可能


こうして見ると、壺という見た目以外にはあまり共通している点はない。
狭間の壺人とボニ村の大壺、この二つには関連性があるのだろうか。

二つの壺文化は無関係

個人的な見解を述べるなら、狭間の壺人とボニ村の大壺は関係していないと思う。理由としてはその目的が全く異なっている点が挙げられる。

ボニ村の因習、大壺作りは罪人を善人に生まれ変わらせることが目的だ。別に罪人を「生き壺」に変えたいわけではない。実際、大壺作りで生まれた壺の中身は特に善良でもなんでもなく、正気を失った巫子のなれの果てでしかない。


あくまで因習の目的は、罪人が生まれ変わることを願うことである。

次に狭間の壺人を考察するにあたり、重要な情報源になる「友なる壺」を見てみる。

人の血肉を、その生の源としながらも壺たちは皆善良である。
あるいはそれこそが 彼らが作られた理由であったろうか。


この「壺たちは皆善良である」という部分。ボニ村の大壺が輪廻した結果、壺人が善良な存在として生まれ変わった……と解釈できそうだが、これは違う。そもそもボニ村は善良な壺人を作ろうとしていたわけではない。あくまで輪廻を祈るため牢獄へと納める壺に、罪人を詰めているだけである。

大壺の中身が動いているのはあくまで結果であり、ボニ村が壺人を作ろうとしている、という描写は無い。一方で狭間の壺人は「善良である存在」であることを求められて造られている。


ボニ村の因習の結果、生き壺が生まれているのは確かだが、イコールで狭間の地の壺人と同じ存在、とは言えない。製法も目的も中身も、何もかもが違うからだ。

狭間の壺人は製作者不明、製造方法も不明。意志を持つ理由も不明と、かなり神秘的な存在である。それでいて、小黄金樹を育てるための肥料を運ぶ、世界にとって非常に重要な存在だ。

壺たちは皆善良である。あるいはそれこそが、彼らが作られた理由であったろうか。
つまり壺人たちの制作者は、善良な存在を求めていた。小黄金樹へと栄養を運ぶため、壺たちは戦士の血肉を内に溜める必要がある。その、死体を壺の中に詰める、というのはどこまでいっても後ろ暗い行為だ。
そんな行いをしながらも、根が善良な存在であることを求めて壺人を作った。

実際、意思疎通ができないエネミーではない、アレキサンダーや小壺には強くはなりたくとも、誰かを殺して自分の中身にする、という考えはない。それは壺人が善良であることを願って作られたからではないだろうか。

壺人の生みの親

せっかくの機会だから壺人の生みの親について考えてみよう。まず、条件はこんな感じだ。

① 小黄金樹を育てたい人・勢力
② 死肉の入った壺に命を吹き込める

けっこう、条件が重い。この重い条件もこれまで壺人の生みの親を考察しにくかった要因だ。

少ない考察材料の中で壺人の生みの親を考えるなら、女王マリカが妥当かと個人的には考える。もちろん答えとなりうる描写はなく、多くの想像によって成り立っているという前提でお付き合いいただきたい。


まず①の「小黄金樹を育てたい人・勢力」という項目。小黄金樹はエルデンリングが砕けた際に各地に飛来した、
黄金の種子が育ったもの。かつて黄金樹は完全なものであり、種子は存在しないとされていた。
しかし生命が、自らの終末を悟ったかのように種子は各地へと散り、小黄金樹として育ち始めた。つまり黄金樹は自らの死を予期していたのだろう。


マリカは他ならぬエルデンリングを砕いた張本人であるため、黄金樹が砕けた際にどうなるか。また、黄金樹の種が各地で芽吹くとするならどう育てれば良いのか、という点について考えることができただろう。


そして巫子の村において、マリカは小黄金樹を祈祷で残している。この小さな黄金樹は「律無き黄金」だという。このテキストは黄金樹との違いを端的に表している。黄金樹は律を持つ黄金。小黄金樹は律無き黄金。

マリカは黄金樹を焼く使命を、娘であるメリナに与えた。しかしそれは黄金樹が憎いからではなく、
黄金樹の拒絶の刺を焼くためである。実際、当のメリナもモーゴットとの戦闘においては小黄金樹を生み出す祈祷を用いていることから、黄金樹という種そのものが憎いわけではないと考えられる。

故郷の村に小黄金樹を残したことから考えても、これらの描写からも、各地に律の無い小黄金樹が育つのなら、マリカにとっては好ましい事なのではないだろうか。

②の壺に生命を持たせる、という点は非常にハードルが高く思える。小壺は「壺師」という役目の人間について、言及している。イベント次第ではディアロスが壺師となる。


しかし壺師はあくまで世話をするだけで、壺師が壺人を作っているという描写はない。壺村のあるリエーニエには機械仕掛けの人形が見られるが、壺にそうした機械的なカラクリがあるようには見えない。壺人たちは極めて超自然的に生命が与えられた存在、と見るべきだろう。

そうなるとやはり、女王マリカのように何かしらの権能を持っていた存在が関わっていた可能性が高い。壺村という場所を一つとっても、咲き誇る花。小さな村とマリカの故郷である巫子の村と似ている。


とはいえ。自分で唱えた説に水を差すことになるが、ボニ村の壺の因習で深く傷ついたマリカが、死肉を壺に入れるという同じ製法で命を作ることを良しとするのか? と問われるとかなり怪しい。ボニ村の大壺という悪習を、
善良な壺人が小黄金樹を育てるという正しい方向へとマリカが作り変えた、と見ることもできるが強引なのは否めないだろう。

さて、本題に戻ろう。今回の記事の趣旨は、「狭間の生き壺とボニの生き壺の違い」について。


途中で示した通り両者の間には共通点が非常に少なく、大目的からして異なる。また狭間の壺とボニの壺、
この二つの文化を結びつける情報は無いため、狭間の壺とボニ村の壺は全く別の存在。全く別の文化であると当動画では結論付けることとする。

ただ、二つの壺文化の間には共通点が少ない、という以外は憶測が多い内容なのであくまで考察材料の一つとして見てほしい。

というわけで考察についてはここまで。おつかれさまでした。ここからは11月発売のガチャ&ボックストイ、小壺について語っていくよ。

小壺(11月発売ガチャ&ボックストイ)

実は二つの壺を比較するという記事(動画)ネタはこの、小壺フィギュアのパブリックサーチ中に思いついたものでして。というのもガチャ発売の反応を調べていて「影の地の壺人を見た後だと、欲しくなくなるな~」みたいなツイートを見たのが発端なんですね。個人的には最初から狭間の壺人と影の地の生き壺については別個の存在として見ていたので、なるほど同一視する人もいるんだな、と興味深く思いました。

あまり元も子もないことを言いたくはないんですが、壺と壺人という3Dグラフィックを流用できるからDLCで壺文化というものを出した、という可能性が高いんですよね。だからあまり必要以上に二つの壺に関連性を見出す必要もないかなと。

小壺フィギュアはエルデンリングでは初のガチャ展開らしく、正直めっちゃ売れてほしいです。あまりガチャやボックストイに詳しくない人は知らないことですが、最近はこうして500円ガチャと同時にボックストイを販売するのがポピュラーになってます。普通にそのまま発売するとボックストイの方が割高になっちゃうので、ボックストイ側にだけ限定バージョンがあるとかそういうプラス要素を付けるのが基本ですね。

今回の小壺フィギュアの場合はボックストイ側には「勇者の肉塊」がランダムで同梱される他、全てのラインナップに特典カードがついているようです。ただこれ、特攻野郎たちの遺灰のような、原作にアイテム画像がついているもの以外はどんなことが書いてあるのか想像がつかないので気になりますね。

個人的にはカード付属が魅力的なんだけど……こういうカードって小物入れとかにしまっておしまいにしがちで、特に飾ったり収納したりしないのよね。勿体ないから最初からガチャをやるべきかも。11月になったら探しに行ってみたいですね。

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